Diary 2016年6月~  Cat

2016年9月26日(月) 経膣超音波装置のリニューアル

産婦人科診療で経膣超音波検査は必須と言える。私は開業当初より広角度(220度)検査ができるM社のメカニカルセクタープローブを使用してきた。開業16年目で超音波装置本体、プローブを交換している。このメカニカルセクタープローブは先端部内に機械的に回転するローターがありオイルが充填されている。機械的な回転運動をするために経年変化が起きると放射状のノイズが画面上に描出されることになる。初代は16年間使えたが、次代は1年未満でノイズ画面が出て、保証期間内であったため交換となった。交換されたプローブも3年4か月でノイズが発生した。

さらに超音波装置本体も時々異常動作が発生するため、OS(WindowsXP)レベルまで降り、手を入れてだましだまし使っていた。プローベもダメ、本体もイマイチなどで修理をしようかどうしようか迷っていたところ、コンベックスタイプの広角度(220度)検査ができる新型プローブが発売になったことを知り、思い切って新型購入に踏み切った。このコンベックスタイププローブは機械的な回転運動をしないため経年変化も少ないと思われる。

新型機を入れると、自分好みの画面にするためにあちこちの調整が必要となる。腹部超音波などでは自分の腹部を映し出し調整できるが、経膣超音波検査となると自分ではできない。もちろんボランティアとなってくれる女性もいない。従って診療しながら少しづつ調整することになる。長時間にわたる調整は不可能なので、1か所づつ、ワンクリックづつの調整となる。4日ほどしてやっとまあまあ満足できる画面となった。もう少しあれこれ調整して、ベスト画面に追い込みたい。

2016年9月17日(土) Windows10 Anniversary Update

Windows10で昨年11月の大幅Update(1511)から8か月、この夏にAnniversary Update(1607)がリリースされた。久々の大型アップデートであり、評判もまあまあなので、プライベート用パソコンでインストールしてみた。なかなかいいと感じたので、サーバー機、ネットバンキング用機の2台も同時アップデートした。

大きな問題は起こらんだろうと軽い気持ちでアップデートしたのが大失敗。当院ではFaxはFaxソフトとFaxモデムを使いサーバー機で送受信している。このソフトウェアが動作せず、ファイルアクセスができないという事態となっていた。気づいたのが1日後なので、Fax受信が1日できなかった。すぐに以前のVersion(1511)に戻したので事なきを得た。また、ネットバンキングもLoginできないという状態も発生し、これもまた以前のVersion(1511)に戻して→OKとなった。

このことでFaxのバックアップの必要性を感じて、Fax回線に『電話回線セレクタ 自動切替機』をつなぎ、(1)メインのサーバー機内のFaxモデム、(2)新たにFax複合機を購入して、2台つなげることにした。呼び出し回数を(1)→2回、(2)→6回としておけば、通常は呼び出し2回で→(1)がオフフック、(1)が何らかの故障でオフフックできない場合は呼び出し6回で→(2)がオフフックするようにした。

これでFax受信の不安がなくなり、安心感を感じるようになった。

2016年9月9日(金) 水銀回収

2か月前に広島市医師会から『水銀回収』の案内があり、当院にも水銀血圧計があったので破棄処分を申し込みました。水銀は貴重な金属だけど、廃棄による環境汚染の元ともなりうる。地球上のすべての物質は元からあるものなのだが、加工、抽出などによって使用後破棄されると、生物環境破壊物質となる。

近年、水銀を含有する魚介類の摂取の問題が取り上げられている。多い順では、バンドウイルカ、コビレゴンドウ、金目鯛、メカジキ、クロマグロ、メバチマグロなどなど。水銀は食物連鎖で体内に蓄積されるため、長く生きる大型魚ほど水銀濃度が高くなる傾向がある。通常なら水銀は体外に排出され、70日で半減するそうだが、体外に排出とは尿、便に出るわけで、結局また環境に戻ることになる。

ただし、妊婦については胎仔は母体の血中濃度の1.5倍になり、低濃度の水銀が与える影響ははっきりとは解明されていない。以前のメチル水銀による『水俣病』が思い起こされるが、そこまでの濃度ではない。

このたびの『水銀回収』は有料であるが、生物環境を考えるとこのような環境破壊物質を安全に処理し、良好な環境を維持することに対するコンセンサスが形成されていることに安堵する面はある。しかし、すべての国が同様なレベルで処理されているとは考えにくく、垂れ流し状態をいかに処理する方向に持ってゆくかの課題は喫緊であろう。

2016年9月4日(日) 休日当番医

今日は休日当番医。朝9時から18時まで。産婦人科は急患は少なく10人あまりの外来診療となる。ヒマを持て余すので、診療に使うパソコンソフトのアップデートをする。

患者台帳はファイルメーカーを使っている。開業当時から使っており、ファイルメーカーVer7→Ver11とバージョンアップしているが、欠点は印刷に時間がかかること。パソコンにインストールしているフォントをとことん削除すれば早くなるのだが、いつの間にかフォントが増えて遅くなる。印刷前に全部のフォントの読み込みをするのだろうか? ほとほと困っていたので、最近出たファイルメーカーVer15を購入してみた。

本日は時間があるので、Ver15をインストール(ソフトの箱を開けてみたら何と35ケタのライセンスキーが書いてあるカード1枚のみ!)してみた。慎重に互換性をチェック、細かいところで動作が異なるところがあるが、問題はなさそう。

肝心の印刷速度は?→全く問題なく瞬時に印刷可能となった。データベースソフトは40年前のPC-PALから始まり、μCOSMOS、d-BASEⅢ、QuickSilverなどを使ってきたが、このファイルメーカーが一番簡単で使いやすいと思う。

2016年8月27日(土) タバコについて

私は以前タバコを吸っていましたが、禁煙して10年以上経過しました。禁煙すると空気がおいしいし、食事もおいしい、タンも出ないし、歯も汚れません。新幹線でもイライラしないし、周囲の人に迷惑をかけることもありません。いいことずくめです。

時代とともに喫煙率はどんどん下がり、今やタバコを吸う人はマイノリティとなりました。そうなると喫煙者は悪者扱いになり、肩身が狭くなり『弱者』になっているように思われます。仕事中に席を立って後ろめたい思いで喫煙コーナーへ行く姿は気の毒です。タバコは『麻薬』や『覚せい剤』とは違います。許可された場所でタバコを吸うことは合法であって、決して違法なことをしているわけではありません。

確かにタバコを吸うことは医学的には様々な問題があります。特にタバコを吸うことによって→病気になる→医療費が発生する→健保財政を圧迫することは大きな問題といえるでしょう。しかし、タバコを購入することによって大蔵省には多額の税金納入となります。また、体に悪いものはタバコだけではありません。アスベスト、PM2.5、ダイオキシン、残留農薬、、、などなど。

定められた場所での本人の意思での喫煙は何の問題もないわけで、非喫煙者がプレッシャーを与えるべきではないと思います。

2016年8月20日(土) 孫の発熱

8月6日より10日まで長男一家が東京から帰省(孫は8才小学2年生女)、8月11日より16日まで次男一家が東京から帰省(孫は2才女)でにぎやかな夏でした。8才の孫は、浴衣を着せて盆踊りに連れてゆき、8月生まれなので誕生日会もしました。

2才の孫は元気だったのですが、東京に戻る前日に嘔吐、発熱38度となりました。小児科では『子供は大人のミニチュアではない!』ということばがあります。どういうことかというと子供は大人とは全く違う生物だということ、『象とペンギンほどの差』があるわけです。したがって、私も子供の診察には全く自信がなく、オドオドするばかり。舟入病院に連れてゆき、診察を受けたところ『夏風邪』ということで、抗生剤と解熱剤を処方されました。

翌日は東京に帰る日ですが、朝から嘔吐、下痢があり、本人はグッタリ横たわり、発熱は39.7度まで上昇。『これはマズイ、東京に戻るのは延期』と考えていました。しかし、昼過ぎになって、立ち上がって本人が『ビョーキ、ナオッタ!』と言い、ヨーグルト、ジュースなどを摂り、歩き出しました。熱は37度まで下降。あっけなく回復し、予約していた夕方の飛行機で東京に戻りました。

子供の病気は悪化するのも早いけれども、回復するのも早いですねぇ。子供の生命力の強さを思い知らされた盆休みでした。

2016年8月13日(土)  懐かしいパソコン黎明期

34年前の1982年私が勤務していた県立広島病院にNECのパソコンPC9801が倉庫のような空き部屋に1台導入されました。当時は使う人はいませんでしたが、私は『待ってました』とばかり使い方を模索しました。当時はソフトウェアもあまりなく、N88BASICというインタープリターで細々と簡単なプログラムを作っていました。昼間は仕事でとてもパソコンをいじるような時間がないため、自宅で夕食を摂った後病院に出向き深夜までパソコンを使っていました。

そのPC9801は16ビットのCPUでクロック5MHz(現在のギガヘルツの1/1000!)、メモリはたったの128KB(現在のギガバイトの1/1000000!)でした。1年後の1983年にやっと自宅にPC9801E(8MHz、128KB)を購入しました。記録媒体は当時出たばかりの5インチFDDを買いました。もちろんインターネットはなく、パソコン通信(カップラーやモデムを使った電話回線での通信)がやっと始まったころでした。モデムも速度は300ボー!。N88BASICから後、OSはMS-DOS、ワードプロセッサーは『松』、データベースソフトは『PC-PAL』や『μCOSMOS』、表計算は『MultiPlan』、プログラミング言語は『TurboPASCAL』『DesmetC』などを使っていました。しばらくしてハードディスク(容量20MB、いまのテラバイトの1/1000000、25万円!)を買いました。プリンタはドットインパクト方式なので作動音が大きすぎるためマンションでの夜間使用ができません。そこでやっと出てきたエプソンのインクジェットプリンターIP-130K(モノクロ、49万円!)を買いました。これは静かで夜間も遠慮なく使えましたが、インク目詰まりが起きるとどうしようもなく、情けない思いをしました。

懐かしい機器たちですが、30代の私に大きなインパクトを与えてくれました。すべてのハードウェアは故障して使えなくなるまでしゃぶりつくし、OSやソフトウェアは徹底的に研究しました。

現在のパソコン環境はとても便利です。しかし昔のパソコンのほうがパワーは超貧弱ですが、ワクワク感は強烈だったように思えます。パソコンが使える時代に生きていて本当によかったと思っています。

2016年8月5日(金) モジリアーニ

当クリニックの倉庫兼院長室に3枚の複製画を額に入れてかけています。 モジリアーニの絵です。私は美術館めぐりが好きで、旅先では必ず美術館を訪ねます。常に『自宅に飾るとすれば』という視点なので、巨大な絵や宗教画はあまり見ません。

好きな画家はモジリアーニが一番です。酒と麻薬におぼれ、結核を患い、貧困に苦しみながら荒れた生活を送り享年35歳で昇天したモジリアーニですが、画風は初期は暗く硬いものが多いのですが中期から晩期には卓越したデッサン力と巧みな色使いで見事な作品を残しています。作品のほとんどは人物画です。

毎日その絵を見ると、癒されると同時に圧倒され自分の非力さを感じて『頑張らなければ』と自分に言い聞かせています。2004年の映画『モディリアーニ 真実の愛』も観て感動し、その後モディー(モディリアーニの愛称)になったような気がして、映画の中で赤ワインをワイングラスではなくコップであおるように飲むシーンをまねて飲んでみたりもしました。

洒落た人物画の中に何かを教示しているような強い力を放しつつ、どこか苦しい胸の内を感じさせるモディーの絵画は毎日見ても新鮮です。時流に流されることなく、独自の作風を貫いたモディーのように生きてゆきたいものです。

2016年7月29日(金) モルトウィスキー

最近日本のウィスキーは評価が高く、世界的なレベルの賞をとるものもあるようです。サントリーの山崎工場の見学へ行ったこともありますが、なかなかのものです。通常市販されていない珍しいモルトウィスキーも飲めます。私はブレンディットウィスキーよりもより個性的なシングルモルトウィスキーが好きです。サントリー白州、ニッカ余市などはとてもおいしいと思います。

でも、でも、やはり長い歴史があるスコッチウィスキーのシングルモルトは別格でしょう。個人的な好みでいえば地域的にはハイランド、アイラ、スペイサイド、諸島、ローランド、キャンベルタウンの順で、銘柄としては、クライヌーリッシュ、ラガブーリン、グレンファークラス、ハイランドパーク、オーバンなどが好みです。飲み方はストレート。氷は不要で、加水するときは常温の水を使います。

食前酒、食中酒、食後酒どれでもOKですが、やはり食前酒がベスト。空腹(私は1日2食で午前6時ころの朝食後は夕方までコーヒー1杯のみ)の状態の嗅覚、味覚が鋭くなっている夕食前、チューリップ型のウィスキーグラス(香りが逃げにくい構造)にモルトウィスキーを注いで、眼で琥珀色を楽しみ、鼻腔で香りを楽しみ、ゆっくりと口に含み、喉から食道・胃で味わう・・・、うぅーん、感動。青色ダイードもノーベル賞の価値があるのでしょうが、モルトウィスキーも同様の価値が、、、。

2016年7月22日(金)  大阪で宴会

先週の週末、連休に大阪へ行きました。

高校の同級生(元内科開業医)、大学の同級生(現役内科開業医)の3名で、大阪の居酒屋探検。大阪は新幹線で2時間と時間的にも楽で、梅田のコテコテの居酒屋で魚料理をアテに飲み、2次会はいかにも大阪といった老夫婦が経営していたスタンドバーへ。その後ホテルで就寝(シングル×3室)。

翌朝は9時からやっている難波の食堂で朝酒→さらに勢いがついて食堂2軒目ハシゴ。前期高齢者とは思えないほど3人とも元気で楽しく飲みました。やはり同級生と飲むと若いころに戻った感覚があり、いいものです。

広島では朝酒を飲んでいる人を見かけることは少ないのですが、大阪ではあちこちでモーニングビール、日本酒、焼酎を飲んでいる人がたくさんいます。朝食時に飲んでいる人は飲んだ後、昼食、夕食のときはどうするのでしょうか?1日3回飲むのでしょうか?、それとも夜勤明けなのでしょうか?いずれにしても明るい日中に飲む酒もいいもんですねぇ~。

2016年7月15日(金) 老いてからの覚悟

五木寛之の著書『玄冬の門』を読みました。

今からの高齢者社会、老人はどうあるべきかということを深く考えさせられました。確かに要介護となった方に対する社会からの援助はある程度必要だと思います。要介護とならないためにどうするのが良いか?また人間は長く生きることを目標とすることが良いのかどうか?

自殺ということではないけれども『もう充分生きた、いい人生だった』と思った時、家族や友人と離れて『一人になる独居生活』は悪くないかもしれません。アフリカの動物は自分で死期を感じると群れから離れて行方不明になると同様に、人間も終末を迎えるときは一人になって『孤独死』も選択肢として残すべきでしょう。

『孤独死』という言葉の響きが『家族から見捨てられたかわいそうな老人』を連想させますが、実際には『自分の考えで家族や友人と別れ、理想とするしがらみのない自由な隠遁生活』に入り、幸せを感じながら往生するわけです。こういう余生に魅力を感じています。

2016年7月8日(金) クルマのフロントガラスの油膜

梅雨の季節の憂鬱に『クルマのワイパーのビビリ』があります。ワイパーがスムーズに動いてくれると気持ちが良いのですが、『ビビリ』(ワイパーが揺れを起こしながら動くこと)は極めて不愉快です。ビビリにはフロントガラスの油膜をとることが対策として挙げられます。私は年に2回春と秋に洗車、掃除、ワックスかけを行いますが、そのとき『油膜とり』も行っていました。この油膜とりは結構時間がかかりますが、その後はしばらくはワイパーのビビリは軽減しますが、そのうちまたビビリ傾向が出てきます。

そこで『雨の日は必ず油膜をとる』ことにしました。最初は結構油膜も付着しいて、時間もかかっていましたが、そのうち油膜とりの時間は極端に短縮し(30秒以内)、油膜とり剤も1滴でOKとなりました。さらにワイパーの動きも極めてスムースになり、雨の日のクルマの運転が楽しくなりました。ほんのチョットしたことですが、こんなことで快感が得られ、エンドルフィンが出るような気がします。

日々の生活の中での習慣を変えることで、気分転換となることがわかりました。

2016年7月3日(日) 持田シーメンス MEセミナー

大阪で開催された『持田シーメンス MEセミナー』に出席してきました。演題は3本。

(1)子宮内膜症性嚢胞の悪性化を早く見つけるためにはどうするか?確かに日々の診療で内膜症性嚢胞(外性子宮内膜症)はよく見るものですが、ごく一部1%以下に悪性化(子宮内膜がん)が発生することがあります。内膜症性嚢胞に対して、手術をせずに保存的治療を行っている場合99%以上は悪性化しないため問題はありません。しかし、悪性化した場合は寿命に影響を与えることもあり得ます。そこをどう切り分けるかが大切だと思われますが、難しいところです。腫瘍マーカー(CA-125など)も無力のようです。結論的には頻回の画像診断の重要性が求められることになるという結論でした。

(2)胎児異常や胎児発育不全(FGR)に対するパルスドップラー法による超音波検査。

(3)超音波リニアプローブの高周波化が進み、私どもが経腹超音波検査で通常使用している5MHzではなく、9MHzの画像を見せていただきました。思いのほか深部までよく見えて精細な画像に驚きました。物理的には振動数を上げて高周波化すると画像は精細になるわけですが、超音波の到達深度が浅くなります。そこを技術の進歩により深い位置まで描出することができるようになったそうです。高周波プローブを備えた新しい経腹超音波装置が欲しくなりました!

新大阪駅で別の学会に出席されたSご夫妻(お二人とも産婦人科医)とバッタリ、いつも仲の良いお二人でした。

2016年6月24日(金) 神棚を祀る

私の実家に古い神棚がありました。両親に了解を得て、その神棚を譲り受け、当クリニックの倉庫兼院長室に祀ることにしました。インターネットで祀る場所を調べると、東向きの壁、天井下に棚を設置すれば良さそうでした。大工仕事は大好きなので、早速石膏ボードに穴をあけてアンカーボルトで棚支柱を取り付け、棚板を金具で固定し、缶ビールとワンカップと榊を供えて、無事神棚を祀ることができました。

その神棚自体は相当古いものなので、掃除をしようと分解すると神棚の奥から『紙のお札』以外に『木製のお札』が14枚出てきました。その札には先祖の名前、生年月日、住所、説明、入幽(死亡日)などが書かれていました。和暦で『寛政』『天保』『文政』などと古いものから『明治』『大正』『昭和』まで14名分でした。ところが墨で行書で書いてあるためなかなか解読できず、友人の浄土宗の住職の方に解読していただきました。それを元にして簡単な家系図を作成しました。

そのうち、先祖に興味をもち、祖父、曽祖父の除籍謄本をとり、先祖の本籍地の変遷、兄弟、親戚などを少しづつ調べていきました。広島市は原爆のため古い戸籍は大丈夫かと不安でしたが、明治までは十分遡れました。先祖の方々を確認すると信仰心が高まり、毎朝神棚を拝み、気分よく一日が過ごせるようになりました。